困窮者の弔い、僧侶が支援(朝日新聞)

asahi.com 2009年5月11日10時31分
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200905110061.html

 人の死はすべて等しく厳粛なもの。その信念から、ホームレスだった人らの弔(とむら)いをする僧侶が次々と名乗りをあげている。貧困問題が深刻になり、セーフティーネット(安全網)が壊れゆく今、社会の片隅の死を悼むことの意味は――。


◆人として尊厳ある葬儀

 さまざまな宗派の僧侶と葬祭業者らが東京都で4月下旬、生活保護の網からも漏れた人らを対象とする「葬送支援ネットワーク」を作った。特に想定するのがホームレス状態で身寄りがない場合。現状は個別の葬送儀式なしに火葬され、最後は無縁仏とされるのがほとんどだ。

 ネットワークでは「人間として尊厳のある葬送」を提供したいといい、花や遺影写真、位牌(いはい)を用意する。お経をあげる僧侶は事実上のボランティアだ。行政から火葬などの費用が出ない場合にも、とにかく葬儀は行う。ネットワークが負担することもあり得るため、市民にも基金へのカンパを呼びかけている。

 共同代表の一人、僧侶の中下大樹さん(34)=真宗大谷派=は、おなかをすかせた人への炊き出しにも加わっている。「路上にいのちが放置されている現実に衝撃を受け、『痛み』を感じた。もし亡くなったら、せめてお経をあげさせてください、という気持ちだ」と話す。

 都内の僧侶、原尚午さん(31)と吉水岳彦(がくげん)さん(30)ら=浄土宗=は今年に入って、宗派内に「社会慈業委員会」という有志のグループを設けた。炊き出しに参加し、困窮者の葬送に協力する。目的は「有縁のすべての人が極楽浄土で再会する友となることを願い、慈しみの心で満ちた社会の形成を目指して行動すること」だ。

 きっかけは、ホームレス状態の人を支援するNPO関係者から身寄りのない人の葬儀や納骨について相談されたこと。超宗派の僧侶とNPOなどが協力し、台東区の光照院に昨年11月、合同墓ができた。容量に限りがあるため、別の寺の協力も得る予定だ。


◆「生者」の不安緩和も

 人間の生存権を守ろうとするNPOと、力尽きてしまった人の平安を願う僧侶。生死の境に立たされる人々を前に、双方が近づいている。その背景には、貧困の現場での弔いが「死者」だけのためではないことがある。死がちらつき、実存的な不安におびえる「生者」にとっての意味も重い。

 「みなさんにお聞きすると、死んだら『たましい』はどこへ帰るのだろう、と切実に感じておられる」。そう語るのは、日雇い労働者が集まる大阪・あいりん地区(釜ケ崎)で支援活動にかかわる僧侶、川浪剛さん(48)=真宗大谷派。他の新宗教などの同志にも協力を呼びかけ、「仲間が手を合わせることのできる合同墓」を泉大津市につくろうとしている。来年をめどにできそうだ。

 「多くの人は家族や故郷との関係が切れてしまっている。帰る場所としての合同墓があれば安心して眠ることができる」

 ホームレスの人や生活保護受給者を自前の寮に受け入れている東京都墨田区NPO「ぽたらか」は2年前、葬儀業の届け出をした。入寮者やそれ以外の困窮者の葬儀をするためだ。尼僧で代表の平尾弘衆さん(56)は「みんな、1人で逝(ゆ)くのがこわい、と言う。だから最期はずっと付き添う。クリスチャンの人に念仏はどうかと思い、子守歌を歌ったこともある。焼香は仲間全員でする。1人じゃないと思えるような葬儀をしたい」と語っている。(磯村健太郎


◆こころ響きあう「共同性」を創出

 佛教大学・大谷栄一准教授(宗教社会学)の話 伝統仏教は本来の宗教活動のほかに、例えば大災害発生時の支援や国際NGOなどの社会福祉的な取り組みをしている。ホームレスの人の支援はその一環とも言えそうだが、最近の僧侶の活動はその先に追悼という行為がある。現代社会に対応する実践と死そのものを扱う本来の活動がセットになっている点が興味深い。

 葬儀や墓は、地域や家制度、家族によって担われてきた。ホームレスの人はそれに頼れない存在だ。そうした極限に追いやられた人々を弔う僧侶の動きは、こころが響き合う「共同性」を作り出そうとしているのではないか。弔いの現代的な意味が問い直されているように思える。


◆問い合わせ先

◇葬送支援ネットワーク 03・3227・5633

◇浄土宗有志「社会慈業委員会」 itukushimi0@gmail.com

◇ぽたらか 03・3610・9155