フェスタ報告:講演会レジュメ

教育・格差・貧困―現代教育問題を考える

大内裕和(松山大学
 格差・貧困問題と教育との関係は深い。先進諸国のなかでも教育における私費負担の比率の高い日本においては、経済的貧困は教育格差に直結する。就学援助率の高まりは、小・中学校の時期から子どもの教育を行うことが困難な家庭が急増していることを示している。また経済的理由による高校中退、高校の授業料未払い問題の噴出、さらには経済的理由による大学進学の困難は、教育を受ける機会が不平等となっている現状をはっきりと示している。
 教育機会の格差は進学/非進学に止まらない。全国大学生活協同組合連合会が2007年10月に行った調査によれば、親元から離れて暮らす大学生が受け取っている仕送りの額が月平均7万9930円となり、最も多かった1996年(10万2240円)に比べて2万2310円減り、1987年(7万9460円)の水準に戻った。奨学金制度が貧弱な日本社会においては、仕送り額の減少はアルバイトの増加に直結する。大学進学した学生の多くがアルバイトに追われ、実際には大学で学ぶ権利を奪われている。また一方で子どもの教育費負担の重さに苦しんでいる労働者も多数存在している。
 教育格差の深刻さは、それが学校を卒業した後の労働市場での格差につながることである。「そんなにお金がかかるなら学校なんて行かなければいい」とは簡単には言えない。学歴を経由しない職業世界へのルートが極めて限られている今日、学校に通わないことは将来の職業からの排除=貧困を意味しているからである。
 教育格差や学歴格差は職業世界における格差を生み出し、正当化する。教育機会の不平等が広がっていることは、出身家庭の経済力によって子どもが受ける教育の質に格差がつけられ、それが将来の職業・地位・賃金の格差にまで及んでいることを示している。教育を経由して、格差や貧困が親から子どもへと「再生産」されるのである。
 近年の政府が進めてきた教育改革は、格差や貧困の「再生産」を急速に強化する方向で進められてきた。ここでは格差や貧困との関わりで、現代の教育問題を考えてみたい。

大内裕和 1967年神奈川県生まれ。現在は松山大学人文学部教授。専攻は教育社会学。主な著書に『教育基本法改正論批判』(白澤社)、『教育基本法「改正」を問う』(共著、白澤社)、編著『愛国心と教育』(日本図書センター)など。

究極の貧困をどう伝えるか―経済の貧困と関係の貧困と

生田武志

「私たちのことを理解して下さい」といった時に既に本当の理解はない(横塚晃一『母よ! 殺すな』)

 ぼくは、1986年から日本で野宿者が最も集中する釜ヶ崎日雇労働者や野宿者の運動に関わり、2001年から各地の中学校や高校、フリースクールで70数回の「野宿者問題の授業」、そして千人以上の教員に対する研修を行なってきました。ぼくは、「野宿者問題の授業」を日本で最も多くやってきた人間かもしれません。
 主に単発の授業をしていますが、連続授業のときは、野宿当事者と一緒に行って生徒にやりとりをしてもらうようにしています。「野宿者はどのように生活しているか」「野宿になる原因や社会的背景」「襲撃の実態」「解決の方法」などについて話し、「空き缶集めのようす」や「こども夜回り」のビデオをよく使います。
授業を始めたきっかけは、身近であまりに多く繰り返される野宿者襲撃という「若者と野宿者の最悪の出会い」を別の出会いに転換させたいという思いからでした。そこには「若者に野宿者の現実を知らせ、襲撃を阻止する」という目的がありました。
 それと同時に、野宿者問題を生み出す「社会のありようと自分たちとの関わり」はどういうものなのかを授業を通して問おうとしました。「知識」の問題ではなく、野宿者問題という現実から見た「社会と自分たちの関係」を考え直していくことが重要だと考えたからです。(引用した横塚晃一の言葉は、「理解してもらう」のではなく「互いがぶつかることによって社会とわれわれ自身が変わる」ことを言っているのだと思います)。
 授業のタイトルとして、「究極の貧困としての野宿者問題」をよく使います。野宿者問題とは、失業、病気、行政のセーフティネットの不備、家族の相互扶助の機能低下などの要因による、住居を失うほどの(平均月収3〜4万円という)「究極の貧困」状態のことだからです。
 しかし、多くの中学、高校生にとって、もともと「野宿者」「貧困」はあまり関心のあるテーマではありません。われわれ現場の人間が、自分に関心のあることをそのまま一生懸命話しても、普通、生徒たちは退屈してしまいます。そこで、生徒たちの現実や興味と、野宿者、貧困問題をつなげられるような方法がないかと、いままで幾つかの教材や比喩などを発案してきました。
 今日は、今までの授業で経験したことについてお話しし、授業や一般の講演で実際に使っている教材をみなさんに渡して使ってみたいと思います。今回、その教材は「野宿者」問題以上に広く「貧困」問題の教材として使えるようにしています。その目的は、われわれの社会の「経済の貧困と関係の貧困」とを「目に見える」ものにすることにあります。

生田武志 1964年生。同志社大学在学中から釜ヶ崎日雇労働者・野宿者支援活動に関わる。1988年から釜ヶ崎で日雇労働。2000年、群像新人文学賞(評論部門優秀賞)。現在、日雇労働者・野宿者対象の公的就労事業「高齢者特別清掃」の(日雇い)現場指導員。野宿者ネットワーク代表。有限責任事業組合フリーターズフリー」組合員。『〈野宿者襲撃〉論』(人文書院)、『ルポ 最底辺 不安定就労と野宿』(ちくま新書)。

手・足・そして視力をも失い…このうえ生活保護の扶助費までをも

日笠方彦
日笠方彦(ひかさまさひこ)プロフィール:
 高校卒業までを公立のいわゆる普通校に通学。学力不足にも関わらず「親が教師だから有名校と呼ばれる大学に進学しなければ…」と自分の主体性のなさを棚に上げて、1年目の予備校生活を過ごすが「何がしたくて大学に行こうとしてるのだろう?」と現実逃避の1年間ゆえに、不合格の結果に終わり、父親に「1年間お前は何をしていたんだ」と怒られて口論。それで「働きながら予備校に行き、大学に合格してみせてやるよ」と強がって、東京に来て働きながらにての2年目の予備校生活で無名ではあるが、大学と呼ばれるところに進学。
 しかし「僕もそうだけれど、みんなもこの学校が第一志望校じゃないのか…」と責任転化と同じでしかない日々を過ごし、そんな主体性の欠落した2年間の先に待ち受けていたのは、留年そして学業不振にての中途退学。無気力で主体性の欠落していた当時の僕が次に選んだのは、「オートバイに乗っての旅をしてみたいな。という事は休みが取りやすいアルバイト生活だよな」と、またしても現実逃避と言われても反論できそうにない日々。
 初めての寝袋を積んでの野宿しながらの旅は毎日が一期一会の日々だった。その旅から東京に帰ってきてからのある日、免許証の免許の条件欄に記載の「自動二輪は中型に限る」の文字に「何で限定されなきゃいけないんだろう…」と意味もなく悔しくなり限定解除に挑み、何とか目標達成。
 そんな日々を過ごしていて、27歳の時に、「いつまでもアルバイト生活じゃ将来が不安定だよな…」と思い、正社員として働くという道に移るが33歳の時にバブル崩壊後の不況と自らの能力不足もあって失業し無職に。それでも何とか再就職先を確保できた95年3月に自分の不注意からの事故で障害を持つ。

 左足を膝のところから失くしました。両手は親指以外の指がほとんど無いみたいな手です。左目は眼球を摘出しました。右目は眼球は残りましたが見えなくなりました。自分の不注意にての事故でした。だから、障害者と呼ばれる立場になり、働ける場所を見つけられていないのを「自己責任」と言われてもやむをえないのかもしれません。情けないけれど「こんな僕は生きていても意味がないよな」って思い、自殺を3回試みました。でも死ねませんでした…。生きていくために仕事を探しました。でも見つけられませんでした。今、僕は無職で、生活保護を使わせてもらっています。地域の中学校などの子供たちに僕の話を聞いてもらうことをさせてもらっています。子供たちからの感想文の「話の中で、日笠さんが泣いてしまったとき、「自分のことをわかってくれるやつがきっといる」と言ったとき、私の目じりがあつくなっているのがわかりました。私は健常者です。日笠さんのつらさ、痛みはわかりません。でも言いたいこと、思い、はわかります。私も思いがあります。」などと伝えてもらえて、「こんな僕でも生きていていいんだ…」と実感でき、僕の目じりもあつくなってくるんです。こんな無職で生活保護を使っている僕が、「社会参加をしていきたい。そして、そのためには、何よりも生きていきたい」という思いは、もしかすると間違っているのでしょう…?